「遙拝隊長」(井伏鱒二)

優しさとおかしみの向こう側にある悲しみ

「遙拝隊長」(井伏鱒二)
(「日本文学100年の名作第4巻」)
 新潮文庫

元陸軍中尉・岡崎悠一は、
戦時中ことあるごとに
東方に向けて遙拝を繰り返す
「遙拝隊長」として知られていた。
彼は不慮の事故により
精神に障害を負って帰村する。
そのため、
終戦後もたびたび発作を起こし、
トラブルを引き起こす…。

戦争を扱った文学作品には、
戦争を憎む感情をあらわにしたものや、
悲劇を克明に描いて
悲惨さを訴えたりするものが
多いと感じます。
映画化されるような作品は
おしなべてそうした傾向があります。
涙なくしては
読み進められないものばかりです。
ところが本作品は違います。
戦争がもたらした「悲しみ」を、
「優しさ」と「おかしみ」で
包み込んで描いています。
ことさら悲劇を
強調したりはしていません。

「遙拝隊長」岡崎の
引き起こしたトラブルとは…。
発作を起こすと村人を部下と誤認し、
軍隊口調で
命令しはじめるというものです。
しかし、それに対する
村人たちの対応が温かいのです。

例えば終末の墓地での場面。
彼の発作を目にした村人が
機転を利かし、お供えの饅頭を手渡す。
彼はそれを恩寵と認識し、
一個の饅頭を
汚れたままの手でより分け、
団子にして村人の口に突っ込む。
駆けつけた母親に連れられて
彼がその場を去ると、
村人はそれを口から吐き出す。

岡崎の言動はとことん滑稽です。
異常な状態であるにもかかわらず、
一種のおかしみを伴っています。
そしてもめ事を避けようとして
彼に合わせる村人たちの
寛容さと優しさも笑いを誘います。

自分の家族に
精神を患っている者がいて、
近所で迷惑を
かけ続けているととすれば、
現代であれば相当な悲劇です。
でも、本作品ではそうした状況が
優しさとおかしみをもって
綴られているのです。

その優しさとおかしみの
向こう側には、
たとえようのない悲しさが
隠されています。
岡崎の精神異常によって
浮き彫りにされているのは、
軍人の言動を平静時に置き換えたときの
歪さなのです。
戦争の愚劣さや戦時体制の非人間性を
余すところなく伝えています。

井伏鱒二の文体は
穏やかでありながらも
流麗で美しい日本語です。
そして作品は常に
ユーモアの衣をまとっています。
しかし、井伏のペンは激しく厳しく
戦争を非難しています。

(2018.8.15)

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